苦塩日記

苦くてしょっぱくて毎日書かない日記です

オタクサイコー

「●●オタク」が「●●推し」という呼び名に変換されるようになって久しい。

一瞬「●●クラスタ」という呼び名も流行ったが、まだ使われているのだろうか。

 

対象のコンテンツのファンであり応援する事の、更に隅々まで情報を仕入れ、濃厚な熱量と手間暇(時間・金銭)を費やす行動及びそれを行う人々の総称が「オタク」である、と考えている。

今は「ヲタク」とも表記されるが、何となく気恥ずかしいので「オタク」と記載する。

 

ひと昔前は「オタク」といえば、引きこもりでコミュ障で犯罪予備軍的なネガティブなイメージが大きかったけれど、いつの間にか「オタク」はとても一般的で気軽に使用できる名称となった。

新しい言葉が産まれ、その意味が一般に浸透し、当たり前に使用される言葉に成長する、という一連の流れを意識したのは「オタク」が初めてかもしれない。

言葉が成長拡大している様子を見るのは、とても面白い。

 

さて「オタク」だが、気軽に使用されるようになって、本来もっていたであろう濃厚さ、熱量、一部特殊な異常性というイメージが薄れたと思う。

「推し」になると、もっとライトな空気感で汎用性も高いようなので、現在巷には「推し」が溢れている。

 

先日、会社のギャルが「マクロ超推せるー」と言っていて、可愛かった。ババアも恐れず、今度真似してみようと思う。

 

本来の濃ゆい意味のオタクには多分及ばないと思うけど、私は以下のオタクである。

1)宝塚

2)デビュー35周年を迎えた群馬の星 BUCK-TICK

3)漫画・アニメ

 

1)については、観劇し始めたのが2010年、東日本大震災の前年なので、まだ13年。ヅカ界隈ではまだまだヒヨッコだ。

そして13年かけて、私の少ない貯蓄を空っぽどころか、穴を空けてボコボコにした、恐ろしいコンテンツである。

夢の世界を楽しむには、まず相応の対価がないと話にならない。

そして対価を惜しまずつぎ込めば、よりレベルアップして格上の夢と美の世界が迎えてくれる。これを教えてくれたのが宝塚だ。

夢の世界は今も私の口座を蝕んでいる。

 

2)いつまでもお元気でいていただきたい。

あっちゃんコロナお大事にしてください。

シマエナガの目撃頻度レベルでしかメディアに登場しないが、登場するとTwitter(えっくすwwだっせえ)がざわつく様子が楽しい。

「ROMANESQUE」だったと思うが、LPの予約特典でチケットを貰い、川崎の小さなビルの会議室みたいなところに押し込まれて、無表情のメンバーの盛り上がらないトークショーを至近距離で見たのが自慢。だが誰も羨ましがらない。

35年もたつと、なんかたまにしか会わない親戚の人達、という錯覚に陥る。

 

3)私は武骨な兄貴キャラが大好きだ。

いつか本気で恋に落ちた、気持ち悪い思い出を書いて成仏させたい。

 

何か言いたいかというと、いくつになっても50歳になってもオタクは楽しいという雑なまとめである。

推し活サイコー!

そのうち、それぞれへの愛を書きまとめて生きた証を残そうと思う。

 

ドリル攻防戦

私は長年電車通勤をしている。
通勤時間は片道で1時間強。

大昔の新入社員の頃はまだ、違う路線の直通電車がなく、乗り換えを入れると片道1時間30分をかけて通勤していた。

それだけ自宅と会社の距離があったので、会社の飲み会で終電を逃しタクシーで帰宅をすると、12,000円はかかった。
それでも毎晩のように飲んで、タクシーで帰宅して、朝起きて1時間30分かけて通勤していたのだから、若いって凄い。そして無謀。馬鹿過ぎる。

今現在カードのリボ払いで毎月ヒイヒイ苦しんでいるのは、この頃の毎日のタクシー代が少なからず影響していると思われる。それぐらいタクシーを使いまくっていた。
昔の自分に会えるなら、持っているクレジットカード全部を奪って、問答無用でシュレッダーにぶち込んでやる。絶対に。
クレジットカードは楽しい地獄の入口だ。

ということで、お金も元気も無くなったアラフィフの今は、飲みに行ってもできれば休前日で、そして絶対に電車で帰る、という生活を送っている。

どっちにしろコロナ後、深夜まで営業をしているお店がぐんと減ったので、閉店まで粘ったとしても、かなり健全な時間にお店を出ることになる。
後は私の周囲の人間も私と同様、順調に老いて気力体力が減退し、さっと飲んでさっと話してさっと帰る、効率重視の飲み方をするようになった。
 
話が逸れたが、電車である。
一時期の閑散とした様子がもう、嘘のような盛況ぶりだ。
私の今の勤務先は始業時間が遅いので少しは空いているが、それでも通勤特急なんかは、みっちりすしが詰まっている。

大昔に読んで、忘れられない漫画がある。ギャグ漫画だった。
謎の怪獣が襲来し、満員電車を襲う。満員電車をポキっと折って、車両ごと火にくべる。しばらく焼いてから皮(電車)を剥がすと、ぎゅっと詰まった人間がいい感じにくっついて焼き上がっており、そうして食べる時はトウキビの粒みたいにほろほろとほぐれて、とても美味い、と怪獣はグルメレポートする。

この漫画が忘れられなくて、満員電車を見ると時折、思い出すのだ。
このストーリーをいつだったか、知り合いに話したら、私の情景描写が下手過ぎ又は過剰に表現し過ぎたかで、ただ引かれただけだった。
あれを食べていた怪獣は、とてもいい笑顔だった覚えがある。

今朝の通勤電車にて、隣に座った紳士に肘で小突かれ捲った私は、ああ、あの怪獣が襲ってこないかなあ、と思った。

その紳士はどうも、肘マウントに命を燃やしているらしく、空いた隣の席に座るやいなや、力一杯、肘を張り出して小突いてきたので、ウトウトしていた私はびっくりして目が覚めた。

私はデブで高身長で身体が大きいので、電車で座る時、両肘は身体の内側の格納し、なるべく縮まるようにしている。
というか、そのほうが楽なのだ。
鞄を抱えて、その上に肘をのせるようにしているので、両隣に肘鉄を喰らわせることは殆どない。
 
結構そういう人は稀だったりして、なんとなく見る限り、ナチュラルに両肘を放り出して座っている人は多い。
その体勢が楽なんだろうから、不快感を与えない限り、別にそれはそれでいいと思う。
 
肘マウント。
これはよくわからない。わからないけれど、肘マウントを取ってくる人は沢山いる。
両肘を絶対に放り出し、楽な姿勢に俺はなる、なのか。
近付くんじゃねえと威嚇する孔雀の羽根の気持ちか、肘の分、僕のアタシの陣地を広げて勝利の気分を味わいたいのか。。全然気持ちがわからない。
 
人間って電車に乗った途端、いつもの10倍パーソナルスペースに拘りだす生き物だと思う。
誰か研究をしていないものか。
 
しかし今朝の紳士は、どれにも当てはまらなさそうだった。
明確な悪意を持って、ドリルのように私の脂肪たっぷりの横腹を小突いてきたのである。
それはただただ虫の居所が悪くて、触るもの皆傷つける思春期のようだった。
 
少しの攻防の後、ガラスの50歳の私はドリル攻撃に辟易し、早々に席を立って避難をした。
私の反対隣には可愛い若い女性が座っていて、離れて眺めていたところ、果敢に理不尽なドリル紳士と戦いを続けていた。
私の座ってた席には誰も座らず、周囲はその紳士の異様な思春期を、チラ見するのみだ。
 
可愛い女子の戦いを眺めながら、ああ、怪獣こないかなぁと思った。
まあきたらきたで、可愛い女子も私も食べられてしまうのだが、ドリルジジイが駆除できるなら、それでもいいな。
でもそんなに満員の電車のではないから、私達はちゃんと、ほろほろの美味しいスナックに焼き上がるだろうか。
 
などと朝からどうでもいい事を考えている間に降車駅についてしまったので、ドリルと可愛い子ちゃんの勝負の行方はいざ知らず、である。

しかしこの漫画、なんだったか何に掲載されていたか、全然覚えていないのだ。
榎本俊二の「GOLDEN LUCKY」だったような気がするが、全然違うかもしれない。
もし分かる人がいたら教えていただきたいものだ。
 
あの紳士は、両隣が若い女子と愚鈍そうなおばさんでなくても、肘ドリルを繰り出したのだろうか。
きっと棚橋とオカダだったら大人しく挟まれてるんだろうな。
そう考えるとちょっと悔しい。

アンヘルシープチハッピー

アラフィフになって、一気に身体のあちこちにガタがきた。
50になったら色んなところが痛くなるよ、言われていたが、全くその通りである。
ちょっと動くたびにイテテ、と呻いている。

年に1回健康診断を受けているが、ここ数年C~D判定増加の恐怖に震えている。
私はメンタルが豆腐なので、そこ危ないぞ!と脅されたら、怯えすぎて、なにもなくてもすっ転ぶタイプなのだ。

50目前にして発現した各症状
1)高血圧
2)高尿酸値 
3)高コレステロール
4)めまい
5)体の痺れ
6)膝から下の関節痛
7)歯周病
8)白髪(病気ではない)
肝斑(病気ではない)
他にも不調はあれど、現在、通院をしているのは上記の症状だ。

若い頃から経過観察中は子宮筋腫とポリープ、片頭痛
これらもアラフィフにして不穏な空気を醸し出してきている。
なんか、こっちも熟しきってるんで弾けていいっすかね・・・と囁かれている気がする。
もう勘弁して欲しい。

今のところ、どれも緊急を要する症状ではない。
が、そのうち緊急を要する病気の温床となる症状ばかりなので、豆腐メンタルの私はせっせと病院に通っている。
今は病院は殆ど予約制だから、スケジュールをうまく組んで1日で3つの病院の受診ができたりすると妙な達成感があったりする。

とはいえ、受診して薬を飲んでいてもなかなか改善しなかったり、なぜか症状が悪化したりするのも事実である。

特に歯周病はここ7年程戦い続けて、もう白旗を上げる寸前だ。
これも50を前にして、急激に症状が悪化した。

だましだましの現状維持で続いていくかと思ったら、やくざな歯周病菌にフルスロットルで巻き返しを図られ、痛みとグラグラに耐えに耐えた末、現在、私の上と下の前歯はブリッジだ。こんなの耐え損だ。
そして、もうすぐ右の奥歯が命を終えようとしている。

歯周病との終わりなき戦いについては備忘録として、そのうち書こうと思う。

今週末はしびれとめまいの検査で、脳のMRIを受ける予定だ。
先日は子宮筋腫MRIを受けたので、短期間で胴体と頭も輪切りにされるわけだ。

真面目に病院に通っていると、治療の症状以外にポンコツになりつつある箇所を先生が見つけてくれたりする。

勘弁してくれよ面倒くさい、と思いつつ、毎月健康診断を受けているようなものなので、豆腐な私は密かに安心をしていたりするのだ。
 
脳ドッグなんて自費で受けたら軽く2、3万は飛んでいくのだから、保険で脳を輪切りにして検査していただけるのは、ちょっとラッキー、とありがたく思うように努めている。
 
そうでもなきゃやってられない、ポンコツマイボディ。
 
 

50の選択ルート

まさか自分が50歳を迎えるとは思わなかった。

しかもこんな信頼と実績のない50歳になるなんて。


ずっと先だと思っていた未来はいまや鼻先を掠めまくっている。


50歳・・・50歳。

何度聞いても、明るい気持ちにはならない。

 

Yahooなんかのトップページにも「50歳、 シンプルな公団暮らし」とか「ミドルエイジでもOKなフレアワン ピース」的な記事が表示され始め、なんだったら「 マンションを購入して老後破産した一部上場企業役員の嘆き」 などという、 高齢者の生きる希望を削り取ることに注力した記事が表示される。

 

もうわかってるから。

ちゃんと自覚していますよ、50歳だってことは。

 

卑屈なババア目線で見るからだろうか、この世は徹底して、 高齢者は良くないもの、可哀そうなもの、不幸なもの、 として扱われる。

それはまあ、事実なのだが。

 

普通の人間として扱われない年齢になってきたかーとしみじみ思う 。

対象外な事柄が増えたこと、山のごとしだ。

社会的地位や資産の評価で、 総合ポイント値は十分補えるだろうが、 純粋に年齢だけで考えれば皆、平等だ。

裸に剝かれて並んだら、誰だって若いほうを優先する。選択する。

ババアの私だって、ぴちぴちの若者を選ぶ。

 

ヒトとしての機能が衰え、 鮮度が下がって売り物にならなくなったからって、 老いていく者を責めないで欲しい。

同じような事を、先日母に言われたばかりである。

何気なく発した一言が母の癇に触ったようで、 別に責めちゃいないんだけど、と困惑したのだが、 自分も世間様に対してそうやって憤慨しているので、世間様も、 別に労わってるだけなんだけど、困惑するのだろう。


ここからは私見です。

 

非常に中途半端、50歳。

 

40代だったら、無理矢理30代に身体を捻じ込むことができるか もしれない。

 

でも、50歳が40代に身体を捻じ込んだとしよう。

別に得はない。

既に40代は30代に憧れているからだ。あわよくば30代に戻ろ うとしているからだ。

私、40代!と、偽ったところで、 それはもう既に労わられる側に片足を突っ込でいる年齢なので、 別に得しない。


でもやっぱり50は40が羨ましいと思う。

40代ならワンチャンある出産は50代にはできない。 まず結婚が無理だ。

 

40代でできる転職が50代だと門前払いだ。

物理的に不可能になることが多すぎて、 40と50の間には深くて暗い溝がある。

 

では老人なのか?

50代も後半ともなればその括りか?
それは老人チームから拒まれるだろう。

中途半端に身体は動くし、普通に労働力だし、なにより「死」 という概念がまだ近くない(はず)。

年金受給が始まる年齢が、多分完全な老年というのだろうと思う。

 

60を人間の完全体としたら50は成熟期と例えられるだろうか。

大体成熟期のこの辺で、 もうルート変更ができない完全体への進化が始まるのだろう。

よい個体に成熟して、 末は究極体に進化を遂げて幸せに人生を終えるか。

または、うっかり暗黒進化で悪意と迷惑の化物となるか。

どうでもいい個体に成熟していまいちの完全体になって適当にデリ ートされるか。

 

このふんわり加減、50代で激減する人生のルートに、 もしかしたら良きルートがまだあるかもしれない、 と希望を持ちたいところだ。


そう、まだ選択肢は現れるはずなのだ。

もしかしたら、いまいちな個体の私でも、 究極進化ができるかもしれない。 レアカードになれるかもしれない。

もう失うばかりだけど、もし選択ルートがあるなら、 次の進化は間違えないようにしたい。

 

中途半端なアラフィフの私は、日々このような事を考えて、 現実を見ないようにしている。

 

もうほぼヌメモンだし。

 

 

 

 

どこまで続くか

本日からブログにて、日記を書き始めることにする。

 

「日記」とタイトルにいれたからには毎日書かねばと思うが、絶対無理なので、なるべく頻繁に、そしてなるべく長く続けられればと思う。

ハナから意思の弱さが露呈している。

 

まあ、別にいいのだ。
誰が楽しんで読んでくれる訳でもなし。
毎日書かなくても、なんの影響力もない。
デスクの上に落ちてる鼻毛よりも、影響力のないものだ。

 

ではなぜ、わざわざブログにて文章を書き残そうとするのか。

人生後半戦に突入しているのに実りのない毎日を送り、そして何も咲かせずこの世を去るであろう、枯れた女の独り言を残してみようかなと思ったからだ。

 

アラフィフ、独身、恋人なし、借金持ち、契約社員、虚弱体質、デブ、オタク
マイナスしかない人生行き詰まり女の、苦くしょっぱい独り言は、インターネットの広大な海の中で、藻屑にすらもならないだろうが、せめてプランクトンの爪の先くらい、生きていた記録が残ればいいな、と思い立った次第。

 

うっかりリリカルポエムなんか書いちゃって、後で読み返して悶絶しないように、気をつけようとは思う。